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人生朝露

人生朝露

『黄金の華の秘密』と『夜船閑話』。

荘子です。
荘子です。

『黄金の華の秘密』(ユング・ヴィルヘルム共著)
めんどくさいものの、今日は『黄金の華の秘密(1929)』について。
心理学者C・G・ユングと宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムの共著として出版された本です。正式な名称は『太乙金華宗旨』。20世紀初頭に北京で出版されていたこの書物を、リヒャルト・ヴィルヘルムが入手してドイツ語に翻訳し、ユングが解説をつけるという体裁をとっています。道教系の宗教団体(ヴィルヘルムは金丹教と呼んでいますが、これは全真教のことだと思われます)の経典でして、口承で伝わってきた技法を文字記録として収めたものです。それを17世紀に慧真子という道士が古物商で偶然発見し、他の道教の経典で補填したものとされています。書き出しで「呂祖曰く、自然を道という。道は名も相もなし。」とあるように、唐の時代の仙人・呂洞賓(りょどうひん)の流れを汲む教えとして書かれています。

参照:Wikipedia 全真教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E7%9C%9F%E6%95%99

呂洞賓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E6%B4%9E%E8%B3%93

『太乙金華宗旨』。
この『太乙金華宗旨』という書物は、内丹法の実践的な瞑想の教えが載っています。全真教という組織は、中国の代表的な思想「三教(道教・仏教・儒教)」の帰一を説くので、道教の教えのみならず、仏教や儒教の素養も必要となるという、おそらくリヒャルト・ヴィルヘルム以外には翻訳し得なかった、大変ハードルの高い書物です。仏教やヒンドゥー教に近い部分がありますし、用語も仏教の用語を使う場合もあります。しかし、原点としての『老子』や『荘子』の思想の一面を体現している不思議な本です。実際、宗教的な活用としての『荘子』を見る上では、参考になる本です。

白隠 慧鶴(1676~1769)。
内容そのものからいうと、臨済宗、というより江戸時代の禅宗を代表するお坊さん、白隠(はくいん)の『夜舟閑話(やせんかんな)』の内容に近い書物です。

参照:白隠慧鶴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9A%A0%E6%85%A7%E9%B6%B4

『夜船閑話』 白隠禅師法語全集4  芳澤勝弘著
≪寶暦丁丑の春、長安の書肆松月堂何某とかや聞えし、遠く草書を裁して吾が鵠林近侍の左右に寄せて云く、伏して承る、老師の古紙堆中、夜船閑話とかや云へる草稿あり、書中多く氣を錬り精を養ひ、人の営衛をして充たしめ、専ら長生久視の秘訣を聚む、謂はゆる神仙錬丹の至要なりと。(白隠慧鶴『夜船閑話 序』)≫

『夜船閑話(やせんかんな)』は、白隠が白幽真人という道士に内丹法を学ぶという形式をとっています。江戸時代から親しまれ、現在も「健康本」として峻別されることが多いですが、この書物を白隠が書いたきっかけとなる出来事は、そうそう経験するものでありません。禅の修行に明け暮れた白隠が、26歳の頃、ある病に悩まされます。「心火逆上し、肺金焦枯して、雙脚氷雪の底に浸すが如く、兩耳溪聲の間を行くが如し。肝膽常に怯弱にして、擧措恐怖多く、心身困倦し、寐寤種々の境界を見る。兩腋常に汗を生じ、兩眼常に涙を帶ぶ。」とあります。簡単に言うと、頭に血が上って精神が安定せず、内臓を傷め、手足の血流が極端に悪くなり、起きている時は幻聴や幻覚、眠っていても悪夢にうなされるという症状が見られたということです。自律神経の失調ですね。

そこで白隠は瓜生山に棲む隠者・白幽真人に教えを請います。『夜船閑話』によると、儒教の「中庸」、道教の「老子」、仏教の「金剛般若経」の三冊しかない洞窟に棲むこの道士は、白隠の症状を「觀理度に過ぎ進修節を失して、終に此の重症を發す、實に醫治し難き者は公の禪病なり」と診ます。

「禅病」というのは、中国の気功の用語でいうと「走火入魔」。白隠は、現在で言うところのいわゆる「クンダリーニ症候群」に陥ってしまったわけです。

参照:Wikipedia クンダリーニ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC

白幽の説明は、いかにもなものです。
『夜船閑話』 白隠禅師法語全集4  芳澤勝弘著
≪我が昔し聞ける所を以て微しく公に告げんか、是れ養生の秘訣にして人の知る事稀なり、怠らずんば必ず奇功を見む。久視(きゅうし)も亦期しつべし。夫れ大道分れて兩儀あり。陰陽交和して人物生る。先天の元氣中間に默運して五臟列(つらな)り経脈行はる。(『夜船閑話』より)≫

荘子に由来する「養生」の秘訣と、「元氣」。これはちょうど、白隠が禅病に苦しんだとしているころに書かれた江戸時代のベストセラー・貝原益軒の『養生訓』とも一致する箇所が多いです。「元気」という言葉が、現代とほぼ同じような意味に使われるようになったのは、江戸時代の健康書の中でも、特によく広まったこの二冊の存在が大きかったと感じます。

荘子の養生と鬱。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5030

「元気」の由来と日本書紀。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5082

『夜船閑話』 白隠禅師法語全集4  芳澤勝弘著
『夜船閑話』には、当然『荘子』も出てきます。「漆園(漆園の管理人)」が荘子です。

≪是の故に、漆園曰く、眞人の息は是れを息するに踵を以てし、衆人の息は是れを息するに喉を以てす。許俊が云く、蓋し氣下焦に在る則(とき)は其の息遠く、氣上焦に在る則は其の息促(しず)まる。上陽子が曰く、人に眞一の氣有り、丹田の中に降下する則は一陽また復す、若し人始陽初復の候を知らんと欲せば暖氣を以て是れが信とすべし、大凡生を養ふの道、上部は常に清凉ならん事を要し下部は常に温暖ならん事を要せよ。夫れ經脈の十二は支の十二に配し月の十二に應じ時の十二に合す、六爻變化再周して一歳を全ふするが如し。五陰上に居し一陽下を占む、是れを地雷復と云ふ、冬至の候なり、眞人の息は是れを息するに踵を以てするの謂(いい)か。(『夜船閑話』より)≫

Zhuangzi
「『真人之息以踵,衆人之息以喉。屈服者、其隘言若哇。」(『荘子』 大宗師 第六)
→かつての真人はかかとでゆったりと呼吸していたが、今の世俗の人間は浅はかな議論にうつつをぬかして、あえぐようにのどで呼吸している。

Pakua。
また、『夜船閑話』には、「地雷復」「地天泰」などの『易経』の卦も登場します。

白幽という仙人は『「豈に風に御し、霞に跨り、地を縮め、水を蹈む等の鎖末たる幻事を以て懷とする者ならんや。大洋を攪いて酥酪とし、厚土を變じて黃金とす。前賢曰く、丹は丹田なり、液は肺液なり、肺液を以て丹田に還す、是の故に金液還丹といふ。予が曰く、謹んで命を聞いつ、且らく禪觀を抛下し、努め力めて治するを以て期とせん」』とも言っておりまして、おそらく『夜船閑話』の元ネタは、『黄金の華の秘密』と同じ、全真教の一派の書物であると思われます。

『太乙金華宗旨』。
『太乙金華宗旨(黄金の華の秘密)』は禅を意識した部分も多くて、「吾が宗は禅宗と同じからず。一歩は一歩の徴験あり」として、禅では排除する瞑想の状態が深まった時の、生理的な意味での体感やヴィジョンも受け入れます。それだけに「光の宗教」として、一部のキリスト教の信者と同レベルのフィールドに留まるということもあります。リヒャルト・ヴィルヘルムが言うように「金丹教」の信者達がキリスト教に接近した、もしくは、改宗せずとも理解を示したというのは、このあたりにあると思います。

『「寸田尺宅可治生」的話、那尺宅、指的是人的面部。面部有塊一寸見方的田、那不是指天心、又是指什麼?這一方寸的地方、居然有森羅蕭台之勝景、玉京丹闕之奇觀、它是最虛最靈的神居住之處、儒家稱它為「虛中」。釋家稱它為「靈台」。道家的稱乎更多有「祖土」、「黃庭」、「玄關」、「先天竅」等等。原來那天心就像一家宅院一樣。那光是這家宅院的主人翁。』(『太乙金華宗旨』)
→黄庭経には「一寸四方の家で生を治めることができる」とある。これは他でもなく人間の顔面からもうかがい知れる。顔面からも指し示すことのできる一寸四方の場所こそ天の心のことでなくて何であろうか?その小さな居所。鬱蒼とした森にある物見台、玉京の赤い広間の奇観、あるいは、限りなく虚である神のいる場所を備えている。儒家はそれを「虚中」といい、仏家はこれを「霊台」といい、道家はこれを「祖先の土地」「黄色い庭」「玄い関」「先立つ天の穴」と呼ぶ。天心は住み慣れた家のようであり、その光はその家の主人の翁である。

『黄金の華の秘密』ではあからさまに瞑想時のヴィジョンを描きます。
この書物のドイツ語訳がヴィルヘルムからユングに届いたのが、1928年。ユングはちょうど無意識のうちに不思議な曼陀羅を描いていました。

C・G・ユング(1875~1961)。
≪私は直ちにその原稿を貪り読んだ。というのは、その論文はマンダラと中心の周りの巡行とについての私の考えに対して、思いがけない確証を与えてくれたからである。これは私の孤独を破った最初のことがらであった。私は類似性に気づき始めた。私は何ものかと、そして誰かと関係を打ち立てることができるはずだ。この偶然の一致、この「同時性」を記念して、あまりにも中国風な印象を私に与えたこの絵の下に、私は次のように記した。「1928年、この黄金色の固く守られた城の絵を描いていたとき、フランクフルトのリヒャルト・ヴィルヘルムが、黄色い城、不死の体の根源についての、一千年前の中国の本を送ってくれた。」≫(『ユング自伝』より)

1928年 ユングの黄色い城のマンダラ
偶然、彼はヴィジョンを共有していたわけです。

今日はこの辺で。


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